文芸でも演劇でも音楽でもいい。何かの表現が成功したといえるのはどういった時だろう。
ただ「感動した」、見た人聴いた人に感動を与えた、見た人も感動したという、それだけでは、どうも弱い。口先だけならなんとでも言えるし。
といいつつ取り出す一枚の絵。
題は「烏~雨は冷たカァ」。
波のような紋が無数にできている灰色の背景、その真中に一羽の鳥がいる。小鳥のように見えるが、全身黒黒としていて、くちばしが大きい。全身毛羽立っていて、ところどころに光るものが見える。よく見ると首をかなりすぼめている。それで一見小鳥と間違える。しかし眼光鋭く、こちらをにらんでいる。
なんだろうこの鳥は…なんてもったいぶってどうする。タイトルどおり、カラスです。カラスが身を縮めて、何かに耐えている様子なのです。
耐えているものは、これは副題にあります雨。背景の紋様は、雨で小さな水たまりを無数に作ったアスファルトなのでしょう。全身の光るもの、つまり雨粒とあわせて、寒々と耐えている哀れさが出ている一方、カラスらしい眼光の鋭さが負けん気を表現していて、むしろ救いに思える。
いや、評釈をしたいのではなかった。。
実は個人的にこの絵ができた背景を知っている。
今年の5月に日暮里である芝居が上演された。それは鳥を擬人化したものでした。
カナリヤや鶏、ふくろうが次々と出てストーリーを展開する中に、カラスがいた。だいたいこういう時に出てくるカラスは敵役っぽいところがあるのだが、ご多分にもれず今回の舞台でもひねくれたカラスだった。食べ物の少なさをいい、人間のモノの扱いの身勝手さを言い、無垢な主人公にズバズバ現実の厳しさを突きつける。かといって嫌味がない。そのヤサグレ具合が歌舞伎の悪婆役を思い起こさせて、実に面白かった。芝居でいえばこのカラスが第一。前の日記と同じことを言うが、たまにこういう掘り出しものがあるから小劇場は面白い。
幸いにしてこの感想は私個人の妄想ではなかった。この時、ゴールデン街でときどきお会いする油彩画家の池田真一郎さんが劇場にいた。池田さんは入れ違いでの入場だったので、まだカラスの名演を見ていない。私のことだから、こういう時はまくし立てる。カラスがいいですよ、A・Mさんという女優さんは新人みたいですがなかなか先が楽しみです、と。まだ観ていない人にネタばれしまくるのは私の芸風だ、御意見無用。
で、数日後。池田さんが銀座でグループ展に参加された。いつものご縁なので金曜日の夕方に見に行った。会場に入って、いちばん目立つ絵を見てビックリ。
カラス!あのカラス!
この絵が生まれた理由はもはや説明不要だろう。創作ごとに携わる人の素直な心の動きなのです。
この一枚の絵ができたことで、カラスさんの演技の成功は証明された。ひいては5月の舞台も、この一枚の絵の完成をもって成功と言っていいかもしれない。(文、現代短歌人 京屋雛助氏)